「うつわ」を食らう 神崎宣武

 この本のことは、ある別の本の中で知った。非常に印象深い一節とともに紹介されていたので、読んでみたいと思っていた。

「何を食べるか」というより「どのうつわを使って、どう食べるか」

この問いが、日本人の食文化を培ってきたであろう。

「うつわ」を食らう 神崎宣武 NHKBOOKS

 この問いが食器のかたちをも定めると記している。ご飯茶碗に何を入れて、どうやって食べるかという作法を一つ一つ分解していき、なぜご飯茶碗は磁器が多いのかなど、食文化とうつわの関係をフィールドワークと文献や浮世絵などの資料から紐解いている。ワン、箸・匙、皿鉢、飲酒、飲茶というように器物ごとに章立てされている。(ワンとしているのは椀・碗で素材によって漢字が異なるため)

 よく、ご飯茶碗は個人個人のものを持つほどに日本人はお米が大好きで…と言ったりするけれど、それは情緒的な理由であって、歴史的にそうなってきた機能的な理由が別にある。答えは是非とも本書をめくってみてほしい。「うつわを食らう」という本題も、なるほどこういうことか、と。

 著者もこれらの考察はまだまだ深めねばならないとはしながらも、今まで「考察」すらしたことがなかった私には目から鱗が落ちる思いだった。

 個人的に少し注意なのは、漆器や陶器をないがしろにしているわけではないが、磁器が日本の食文化を作ってきたと言っていること。磁器がいろいろな食器の中で、美しさ、機能性、生産性などに秀でて主流になったということだが、これはあくまで民俗学視点での日常の食卓の変遷。陶器の良さ、漆器の良さという側面とは別の問題であると私は理解している。

 話がそれるが、冒頭の一節を目にした時、これは「自分がしてきたうつわの仕事そのもの」のことではないかとも思った。うつわと料理は切っても切れないもの。食器を売るのに食器のことだけ考えているのは無意味で、逆もしかり。

 とは言うものの、そうしてくれば良かったという反省である。単に難しい本を読んで勉強すればよかったということではなく、一つ一つの意味や理由を知る、自分なりの考えを持つということである。先人たちがこうしてまとめてくれているのだから、こう書いてあったこの意見に納得、いや私はこう思う、でよい。理由を知りもせず、こうだああだと言ってきたなぁという自戒を込めて。今更ながらこういうふうにブログでまとめだすと、点と点がつながってきたような感覚を覚える。

時間ができた今だからこそ思うのかもしれないが。

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