漆の良さを知る 「陰翳礼賛」より

「陰翳礼讃」-言わずと知れた、作家谷崎潤一郎の日本文化と美意識についての随筆。うつわと金継ぎのブログを始めるにあたり、なんとなくここらで一度読んでおこうと思っていた。素人には難しいことは述べられないが、感じたことを整理してみる。

古典を読む時はつい構えてしまうことが多いのに、これは読みやすく冒頭から引き込まれ、どこを切り取っても面白かった。

著者が言いたいことは、この一文に集約されているであろう。

美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされた我々の先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。

陰翳礼讃 谷崎潤一郎 新潮文庫 平成28年発行 以下同本より

電灯が発達していない時代、より明るさを求めた西洋諸国に比べて、日本人は陰影の中にさまざまなものの美しさ(家屋、着物、歌舞伎や能などの芸事から女性観まで)を見出したということ。これが原点であるとすれば、なぜ漆器が美しいかの項もすとんと腹に落ちる。

漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。事実、「闇」を条件に入れなければ、漆器の美しさは考えられないと云っていい。

陰翳礼讃 谷崎潤一郎

漆器は燈明かろうそくのあかりの下で見れば、渋く重々しい余情を見ることができる。自分の経験を思い起こすと、お城や寺社を拝観した際、必要以上の明るさのない室内では奥の間の金屛風や襖、蒔絵の文箱などに荘厳な深みを感じたことが似ているかもしれない。それはきっと古いからだけではなかったのだ。(漆は日光に弱いため暗くする必要もある)

またなぜ汁物に漆器が良いかについては

陶器は手に触れると重く冷たく、しかも熱を伝えることが早いので熱いものを盛るのに不便であり、その上カチカチと云う音がするが、漆器は手さわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたたかい温みとを何よりも好む。

陰翳礼讃 谷崎潤一郎

汁物はどうしても熱くなるので、陶器より持ちやすいとはよく言う。熱いだろうと想像しながら口に運ぶから、当たりが柔らかいと口を付けやすいし、味わうことに集中できる。また漆器そのものが軽く、汁物のほどよい重みを邪魔しないのだろう。

第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持ちである。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を搔いているので、そこから湯気が立ち昇りつつあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣む前にぼんやりと味わいを予覚する。

陰翳礼讃 谷崎潤一郎

食べる前にこれだけの思いを巡らせていたのかと驚きつつ、もしかしたら誰しも無意識のうちに、同じようにたどっているのかもしれない。五感を使って少しずつ料理に近づく「奥ゆかしさ」もまた漆器の魅力なのだと感じる。

「日本人の美意識」を調べ始めると、奥深く大雑把な自分にはとても理解できない。ただ、心に感じたモヤモヤっとしたものは何なのか?と追求したい気持ちに駆られる。なぜこれが好きなのか、ということをシンプルに文章化して整理整頓。これもブログを始めた目的の一つ。

まあひとまず今夜は、少し闇に近い中で過ごしてみるとしよう。

 

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


コメントに日本語が含まれない場合は表示できません。(スパム対策)

目次